DBDは時間効率ゲーという話。
タイトルのままの話をしようと思う。
DBDは「時間効率」のゲームで、時間の奪い合いとも言えるようなゲームシステムをしてる。
時間の奪い合い、それこそが、DBDの本質。面白さに繋がる点だと思う
修理時間と処刑時間のスピード勝負
DBDにおける時間という概念は勝負を決める上で最重要なものである。
「サバイバーにおける時間効率の話」
サバイバーは修理を効率よく進めてゲートを開けて脱出することを目的に動くため、極端な話、「発電機の修理以外の行動は無駄」とも言える。(極論だよ、極論。)
でものうのうと修理をキラーが許してくれるわけないので時間効率を4人で分配してできるだけの最効率で発電機を修理しなきゃ行けない。
そのために重要な行為は色々ある。
「チェイス」
チェイスはは時間効率を稼ぐ上でわかりやすい行為である、チェイスをしている間他のサバイバーは発電に時間を使うことが出来るからだ。
「隠密」
隠密はキラーからしたらチェイスもできないしどこにサバイバーが逃げたかも分からず巡回に戻るしかないというように時間をかけさせることができる。上手い隠密はチェイスと同等の力を持っている。
「効率低下の要因の排除」
主に破滅、あとはキラーの能力であったりの発電機の効率を下げられる物の排除も効率を上げるためには時には必要になるが必ずやらなきゃ行けない訳では無いということも忘れずに、壊すより治した方が効率がいい場合ももちろんあるのでね。
「キラーにおける時間効率の話」
キラーは発電機を治させずにサバイバーの処刑段階を効率よく進めていって「発電機の修理速度」より「サバイバー全体の処刑速度」が上回るようにするのが全体の目的。そのために重要な行為はサバイバーと同様にいくつかある。
「チェイスの短縮化」
サバイバーがチェイスを引き伸ばして時間を稼ごうとするなら、キラーはその逆でチェイスを短縮化することで処刑時間の効率を上げるのが目的になる。キラーによってそのアプローチは変わるがサバイバーの時間効率を下げる重要な物であることには変わりないし、ダウンさせないと処刑させられないに等しいので避けて通ることのできない道でもある。
「キャンプ」
有効な場所にサバイバーを吊ることによって近くの発電機を巡回して発電効率を下げながら全体の処刑時間を進めることが出来るキラーにとって重要な行為の一つ。
「這いずり放置」
吊らずにどんどんチェイスを開始してそのダウンまでの時間を短くすることで発電機自体に触らせることを封じて終わらせる方法。
「チェイスをしない判断」
チェイスが上手いサバイバーだったり隠密が上手いサバイバーにまともに相手をすると時間だけ取られてこちらには何も成果を得られないという状態が発生してしまい、効率の差で負けるということが発生しがち、「このサバイバーは無理」と思ったなら後回しにするという判断も後の効率勝負になった時勝ちの目が見えることもある。
このように、時間に関わる要素が非常に多く「DBDは時間効率のゲーム」である所以がわかると思う。
多分もうちょっと考えたらまだまだ出てきそうな気がするが寝起きで考えてて頭が回ってないので今回はこれにて失礼する。
またなんかあったら追記又は新しく書きます。
またね。
久しぶり。
久しぶり、長文を書くのにTwitter使ってたけど自分で邪魔だなって思ったからこっちにきた次第です。
ゲームにおける再現性の話をしたいなって。
再現性、同一の手法で同一の結果が得られるときその結果は近くなる、つまり、同じことをすれば結果は同じになる、それが再現性。
カードゲームでいえば、「デッキの勝ち筋を常に再現出来るデッキ」は再現性が高いといえる。
色んなゲームをしていて僕が思ったことは、僕自身は「再現性の高さを拒否する傾向にある」こと。再現性の高さはゲームにおいては強さに結びつくことは理解している、しかしその強さは再現性という言ってしまえば退屈な道のりを進むだけで完成されてしまうのは如何なものかと思ってしまう。
僕はMTGが好きだ、理由は「どんなデッキを組もうが、再現性が低くなるから」である。理由は土地カードというマナコストを捻出するためのカードが存在していてそのカードを使わないかぎりマナと呼ばれるコストを捻出できなくなりどんな強いデッキであろうと動けずに終わるからだ。
MTGには「マナスクリュー」と「マナフラッド」という概念がある。
マナスクリュー(以下マナスク)とは「土地カードが引けずにマナの捻出が出来なくなる」ことを指す。
マナフラッド(以下マナフラ)は「土地カードしか引かずにクリーチャーや呪文が引けなくなる」ことを指す。
このマナスク、マナフラがデッキの再現性を低くしてくれているため、同じデッキを使用していても同じように動いてくれるとは限らないという状態が発生する。僕はここがいちばんMTGをしていて楽しい部分であるしこれこそがMTGにおける大事な部分だと思っている。
プロはここから「どうすれば再現性をあげられるか」を研究し続けている。土地というシステムが生み出す再現性の低下をどれだけ抑え込めるか、はたまた再現性の低さを別の形で昇華させるデッキもあったりとその再現性の低さが生み出す戦略も個人的には好きな点。
遊戯王やデュエルマスターズはいわゆる「再現性の高いカードゲーム」といえる。
コストが軽く条件も緩く常に再現性の高い状態でバトルを行う。デッキの勝ち筋が一つに固定されていて且つ道筋が太く壊れにくい。再現性の高さはデッキの構築と環境が固まりやすい上にファンデッキの行き着く先が少ないことがあげられる。(デュエルマスターズはMTGを元にしてるのでファンデッキでも戦えたりするけども)どうしてもその再現性の高さが僕の肌に合わない時がある。
デジタルカードゲームであるShadowverseやHearthstoneなどはリソースが自動で増えるシステムではあるし再現性の高いシステムではあるけどカード効果にランダム性を出すことで再現性の異常に高さを低めてる。(稀にそうでも無いものある)
行き当たりばったりの計画性のない旅が割と好きな僕は計画を再現する事が主要だと思ってないのと同じように、再現性の高い、計画性の高い物は苦手意識があるのかもしれない。
僕の人生の八割を占めるすごく大事なものの存在。
僕の人生を語る上で離せないものがある。
それはすごく壮大で大きなもの。
「音楽」は僕にとって命の恩音だし、考え方を変えてくれたとっても素晴らしいもの。
すごく辛かった、あの小学から中学の時代を生き残れたのは音楽があったから。
小学生の時、学校に行くふりをしてゲーセンに行ってなかったら僕は軽快なドラムさばきで悠々とクリアしていく青年を見ていないだろう。
今でも覚えてる「Concertino in Blue」。
かっこよかった、ただそれだけだった。
耳から離れなかった、その音楽が。
そこから、僕の音楽生活が始まった。
中学の時、親がCDをレンタルすると言うので1枚だけレンタルしてもいいと言われて選んだのが「MUCC/BEST OF MUCC」だった。
その当時僕はMUCCなんて知らなかったし本当にパッケージを見てそれを選んだと言ってもよかった。
でもその選択が僕に「流星」という音楽を教えてくれたきっかけになった。
初めて聞いた時涙がとまらなかったのを覚えてる、歌詞が歌い方が心に刺さって抜けなかった。今でも泣きかける。思い出して。
中学卒業くらいだったと思う、初音ミク達VOCALOIDが流行ったのは。東方Projectもそのくらいだったように思ってる。このふたつのコンテンツも僕にとっては忘れられないもので初めて聞いたVOCALOID曲が「ブラックロックシューター」で驚いた反面、僕の知らない世界がまだそこにあるっていうワクワク感もあった。
高校時代も音楽に触れ続けた。「9mm Parabellum Bullet」や「LAST ALLIANCE」などを聞いて僕は育ってく。
そして今に至る。今は「平沢進」や「virtual riot」、「Skrillex」「DragonForce」「Equilibrium」「Korpiklaani」いろんなジャンル、色んなアーティスト、本当に分け隔てなく聞いてる気がする。今でも音楽は聴き続けてる。そうでもしないと心臓が止まりそうだから。
僕の人生は音楽が占めている。